2012年10月03日
<10月号>第10回「駿府城」最終回
今月の特選ネタ
【前回までのあらすじ】
江戸幕府の開祖・徳川家康が隠居後の居城としたのが駿府城。
現在では跡地が整備され「駿府城公園」となっています。
ほぼ江戸時代当時のままの姿を残す、中堀と(東側をのぞいた)外堀をめぐった8、9月号。
そこで見つけた橋は5つです。
①城代橋
②凱旋橋
③草深橋
④東御門橋
⑤北御門橋
今回は中堀の残る橋と、その内部「内堀」へ・・・!!
「いいね!」の数がプロジェクトPの中でも最下位をうろついていようとも、橋めぐりは独自路線を突き進みます。
【中堀の橋は残りいくつあるのか】
9月号で登場した、北御門橋。
独特の石造りのこの橋から北へ向けて歩いていくと・・・次の橋が登場します。
⑥西門橋
(白い橋脚がたまりませんね!!)
東御門があるのが東御門橋、北御門があるのが北御門橋・・・と来れば、
西にあるのは西御門橋・・・という名前になりそうですが、違うんです。ここだけ西門橋というのです。
(内堀から中堀側を眺める。正面には、静岡雙葉学園中学・高校があります)
(西門橋から見た石垣。時代によって、石のサイズや組み方が変わるそうです)
西門橋には、かつて清水御門という門があったそう。
二階建ての大掛かりなもので、復元計画もあるんだとか。
巽櫓のある東御門と、二階建ての清水御門が復元されたら・・・壮観でしょうねえ。
⑦二之丸橋
西門橋を通過し、欄干の鳩を横目に歩いていくと・・・。
(この辺りは鳩パラダイス)
中堀最後の橋、二之丸橋が現れました。
(二之丸橋)
(これまでの橋に比べ、幅が広い!)
通学する学生や近所の買い物する人、公園で過ごした人々が行き交う、交通量の多い橋です。
二之丸橋の脇に、こんな立札がありました。
(石垣修復工事について)
2010年8月11日に発生した、最大震度6弱の地震により、中堀の石垣が一部崩落。
そのため一年以上をかけて修復工事が行われたのです。
修復部分は、一部石垣の色が違っています。駿府城公園に行ったら、見てはいかがですか?
(写真の奥、一部石垣の色が明るい部分が修復箇所です)
【いざ内堀へ、そしてそこには・・・】
駿府城公園内へ。市民の憩いの場です。
(マロニエ園なる石碑と、静岡県の発展に貢献した方々の石像)
(鷹を手に、静岡市街を見つめる大御所・・・徳川家康)
そんな駿府城公園内には、天守閣のある本丸を囲っていた「内堀」がいくつかあります。
内堀は明治以降に埋め立てられてしまいましたが、近年になって一部が発掘されています。
(今に残る貴重な内堀跡)
そして、内堀にある唯一の橋がこちら!
⑧水路に架かる橋
(脇には柳。比較的新しく、公園整備によって架けられたと思われます)
正式名称不明のこの橋が架かるのは、内堀へと続く二ノ丸水路と呼ばれる水路。
(二ノ丸水路。全長95メートル!)
この水路は、内側にある堀の水を外へ排出するためにあるんだとか。
江戸時代には水深4メートルにもなっていたそうで、当時のまま残る貴重な遺構です。
そしてもう一か所ある内堀は、ここ。
(こちらは水深5メートル!)
東御門橋を抜けるとある東御門をくぐると、この堀が姿を現します。
石垣には伝統的な築城技術が用いられており、貴重な資料となっています。
たとえ敵が侵入してきても、この堀を越えていくことはできなかったでしょう・・・。
というわけで、3回にわたった「駿府城橋めぐり」は終了。
調査の結果、お堀にかかる橋は全部で8脚
①城代橋
②凱旋橋
③草深橋
④東御門橋
⑤北御門橋
⑥西門橋
⑦二之丸橋
⑧水路に架かる橋
ということが判明しました。
今回の橋めぐりでもう一つ分かったこと・・・それは、
駿府城、広すぎる。
これだけの土地にお堀や城壁、天守閣を作り上げた大御所・家康の権力と威光の大きさを感じずにはいられません。
いつか、復元された天守閣を見てみたいなあ・・・。
それでは今回もありがとうございました!
次回は東静岡へ・・・!?
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